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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和49年(ワ)128号 判決 1975年10月06日

原告 栗原藤三郎

右訴訟代理人弁護士 根岸隆

被告 進藤政五郎

右訴訟代理人弁護士 野村常次郎

右訴訟復代理人弁護士 田辺幸一

同 小山三代治

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

一  被告は、原告に対し、金二、〇五八万円とこれに対する昭和四九年八月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行の宣言

第二請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第三請求原因

一  昭和三九年九月二三日当時、原告は被告に対し

イ  訴外根岸文雄が被告から借りた金八〇万円についての連帯保証債務

ロ  原告が昭和三六年初めころ被告から借りた金五〇万円の返還債務

の合計金一三〇万円の債務を負っており、被告は、イの債務を根拠にして原告所有土地数筆に対し、ロの債務に基づき原告所有有体動産に対し、すでに強制執行手続を開始していた。

二  昭和三九年九月二三日、原告と被告との間で、次の内容の和解契約(以下、本件和解契約という。)が成立した。

イ  原告の被告に対する前記一三〇万円の債務を消滅させる。

ロ  被告は前記各強制執行の申立を直ちに取り下げる。

ハ  被告は、原告の訴外幡羅農協に対する債務約一〇六万円(元本一〇〇万円、昭和三九年九月までの利息約六万円)と訴外峯岸義一に対する債務二〇万円の引受をする。

ニ  右イ、ロ、ハの代償として、原告は、被告に対し、別紙物件目録(一)記載の各土地(以下、本件土地という。)の所有権を被告に移転する。

ホ  被告は、原告が昭和四一年九月三〇日まで本件土地を耕作することを承諾し、原告は耕作料として年当り金五万円を支払う。

三  右契約成立当時、強制執行手続が進行中であったこと(右契約そのものが、強制執行の開始を契機としてこれを避けることを主目的としてなされたものである。)および原告が乳牛一二頭を所有しその牧草を本件土地に頼っていたこと(農業を営んでいた原告にとって本件土地の利用を直ちに失うことは大なる衝撃であり、二年間の耕作期間を得てこの間に生活形態の転換をはかろうとしたもの)のため、前記イないしホの各契約条項はいずれも必要不可欠なものとして、全体が一体をなすものとして契約は成立した。

四  原告は、右契約で定められたところに従い、昭和四〇年一月八日浦和地方法務局深谷出張所受付第六八号をもって、本件土地につき、被告への所有権移転登記手続をすませた。

五  ところが、被告の方では、次のとおり本件和解契約に違反する数々の行動をとった。

イ  被告は、前記各強制執行の申立の取下をしないのみならず、それらの手続をそのまま押し進めようと図った。すなわち、有体動産に対する執行手続においては、昭和三九年一〇月二日別紙物件目録(三)記載の動産につき差押手続をなし、被告がやむなくこれに対して執行停止申立、請求異議訴訟の提起等の法的手段をとったところ、被告はこれに対しても応訴して抗争し、最終的には、昭和四一年一一月二一日の原告勝訴の判決まで争い続けた。また、前記不動産に対する強制執行も原告の異議申立に対し、昭和三九年一一月一七日競売申立の却下がなされるまで続行された。

ロ  被告は、前記和解契約条項ホに違反し、農地法三条の許可申請手続をなさないだけでなく、昭和四〇年三月二七日には、訴外武田孝雄に貸したとして同人を原告に無断で本件土地に立ち入らせ、以後原告の占有を排除してしまい、本件土地の耕作をさせなかった。

ハ  被告は、原告が被告に所有権を移転した土地の中には本件土地の外に別紙物件目録(二)記載の土地も含まれるとして、農地法三条の許可申請書にこれをも記入し、許可を申請した。

ニ  被告は、原告が被告に対して本件和解契約違反を根拠として提起した損害賠償請求訴訟においても、契約違反の存在しないことを主張して争い続け、この争いは昭和四八年一〇月まで続いた。

被告の右のような悪質な数々の行為により、原告は、債務不履行を理由とする解除権および信義誠実違反を理由とする解除権を取得するにいたった。

六  そこで、原告は、被告に対し、昭和四九年八月三日到達の内容証明郵便をもって、前記和解契約を解除する、との意思表示をした。

七  本件土地は、いずれも、被告から訴外進藤健および同東京電力株式会社に所有権が移転され、その旨の登記もすまされているので、原物返還は不可能となっている。

八  前記解除時点での本件土地の価格は合計金二、〇五八万円を下ることはない。

九  以上により、原告は、被告に対し、契約解除に基づく原状回復請求権の行使として右の金二、〇五八万円とこれに対する本件訴状送達日の翌日である昭和四九年八月二八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第四請求原因に対する答弁

一  第一項は認める。

二  第二項も認める。

三  第三項につき、和解契約成立当時強制執行手続が進行中であったことは認める。その余は否認する。

四  第四項は認める。

五  第五項記載の各事実は認めるがその法的意味については争う。

六  第六項は認める。

七  第七項も認める。

八  第八項は否認する。

第五抗弁

一  被告は、本件土地上に高架送電線用の鉄塔が設置されているうえ、送電線が本件土地上を横切っていること、しかも原告がすでにそれについての補償金を受領していることを本件和解契約成立後になって初めて知り、原告に対して本件土地以外にも所有権移転の対象を加えるように要求し、交渉した。その結果、被告は、昭和三九年九月二八日、原告の態度から、原告が別紙物件目録(二)記載の土地をも追加して被告に譲渡すると承諾したものと信ずるにいたった(前記原告の態度は被告を右のように信じさせるに十分なものであった。)。

ところが、本件土地についての所有権移転登記がすまされた後もその余の土地についてはその手続がなされなかったので、原告が新たに右の約束をしながらこれを守ろうとしないと信じた被告は、やむなく強制執行手続を続行した。

このように、仮に強制執行の継続が客観的には前記和解契約に違反して被告の債務不履行となるものであったとしても、それは被告の責に帰すことのできない事由によるのであり、これを理由に右和解契約を解除することは許されない。

二  原告は、被告に対し、前記和解契約を根拠に、請求異議訴訟を提起したばかりか、その不履行(内容はほぼ本訴において原告の主張するとおり)を理由として損害賠償請求訴訟をも提起し、それぞれの訴訟において勝訴(但し損害賠償の額については一部認容)した。このように、まず和解契約を根拠に訴を提起し、その目的を達してしまうと今度はこれを解除して原状回復を求めようとすることは、民法五四八条一項の法意にも、信義誠実、権利濫用等一般条項にも反し、許されないものというべきである。

第六抗弁に対する答弁

一  第一項中、本件土地上に高架送電線用鉄塔が設置され、送電線が本件土地上を横切っていたことは認めるが、その余は否認する。

二  第二項記載の事実は認めるが、その法的意味については争う。

第七証拠関係≪省略≫

理由

第一  請求原因第一項(原告が被告に債務を負担していたことおよびこの債務を根拠に被告が強制執行手続を開始していたこと)については、当事者間に争いがない。

第二  請求原因第二項(本件和解契約の成立)についても当事者間に争いがない。

第三  請求原因第三項(本件和解契約上の原告の義務の履行)についても当事者間に争いがない。

第四  請求原因第四項(被告による本件和解契約違反の行為)についても当事者間に争いがない。

第五  抗弁第二項(原告により本件和解契約を根拠とする請求異議訴訟、本件和解契約違反を理由とする損害賠償請求訴訟が提起され、いずれについても原告勝訴((但し損害賠償の額については一部しか認められなかった))の結果に終ったこと)についても当事者間に争いがない。

第六  そこで、以上の各事実関係の下で、原告の解除権行使が認められるかどうかについて検討する。

法が、契約の一方当事者に債務不履行があったとき、他方当事者に、その履行と損害賠償を請求する権利だけでなく、そのほかに、一方的に契約を解除する権利をも認めたのは、契約上の義務の履行と損害賠償を請求する権利だけしか認めないのではその保護が十分でないので、契約の効力を消滅させて契約が締結されなかったのと同じ状態を観念的につくり出し、自分の義務が履行されてない段階ならそれを免れ、すでに履行されて給付の終った後であるならば給付されたものの返還を得させるという手段を与える必要ありと考えられたからにほかならない。いわば、法は、契約当事者に、自己の義務を履行しつつ、履行しない相手方に履行を求める方法と、相手方の履行も求めない代りに自己の義務の履行をも免れる方法の二つを与え、いずれを選ぶも自由としたということができる。しかし、法が認めているのはこの二つの方法だけに限られており、法は、相手方に対して本来の義務の履行を求めつつ自己の義務を免れる、との手段までは与えていないのである。そうだとすれば、解除権を取得した当事者がこれを行使して契約の効力を消滅させてしまわないで相手方に対して本来の義務の履行(これに全部あるいは一部代替するものとしての損害賠償を含む)を求め、その目的を達してしまった場合や、解除によって生ずべきみずからの原状回復義務の履行を不可能にしてしまったときは、これを客観的に見れば、相手方に本来の義務の履行を求める代りに自分の方でも自分の本来の義務を履行する、との立場をとったということができ、いわば解除権の放棄の意思表示とでも呼ぶべき事実があったことになるから、解除権は消滅するものと考えるべきである。このように考えないと相手方の地位は極めて不安定となり、いかに債務不履行のあった当事者とはいえこれに対して酷に失する結果となる。この考えは、禁反言や信義誠実の原則にも合致するし、民法五四八条一項の法意によっても裏付けられているということができるであろう。

右の観点に立って本件事案を見ると、被告の契約不履行により原告に解除権が発生した後も、原告は、これを行使せず、契約の効力を根拠にして請求異議訴訟、損害賠償請求訴訟を提起し、競売開始決定に対する異議申立をなし(これらの原告の行為を客観的に評価すれば、被告に対して本件和解契約上の本来の義務の履行を求める、との意思を明らかにするものであり、その反面として、自分の方でも本件和解契約上の本来の義務を履行する、との意思を明らかにするものということができる。前述のとおり、相手方に本来の義務の履行を求めつつ同時に自己の本来の義務の履行を拒絶する方法は法律上認められていないからである。)、いずれもその主張は認められたのであるから、その後になって解除権を行使することは許されないというべきである。

なお、原告は、債務不履行によって生じる解除権とは別に信義誠実違反を理由とする解除権を主張しているが、原告のいう信義誠実違反も結局のところ債務不履行の一態様であるに過ぎずそれ以上のものではありえないから、債務不履行を理由とする解除権の外に特別にこのような類型の解除権を考えてこれについて検討を加える必要を認めることはできない(のみならず、仮にこのような類型の解除権を認めるべきものとしても、解除権の消滅について前述したところはこのような解除権についても適用してよいと考えられるので、結論に影響は出ない)。

第七  以上によれば、その余について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由のないことが明らかである。そこでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下和明)

<以下省略>

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